魂の輝き

魂の輝き


ある女性のジャングルの冒険 – バリにて



J.クリシュナムティが観察したように、非常に尐数の人のみが精霊に関してのあらがうことのできない情熱を持ち合わせている。私たちの中で、ほんのわずかな人たちが、自分へ働きかけてくる未知のもの、それを何と言っていいかわからないが、それに対して心から献身するのだ。そしてその未知のもの、魂の問いかけに私たちが善意を持って答えようとするとき、往々にして、私たちは人々が昔から歩み続けていた道を選び、進むことが多い。私たちは大学へ進み、セミナーへ出席し、アシュラム寺院に足を運び、ワークショップへ参加する。稀有なことは、自身の夢とビジョンを理由に、そのありふれた道からはずれることである。ユマ インダーがある日体験したことは、まさにその稀有なことだった。ユマは解放というたったひとつの信念を持って、バリ島のジャングルへ一人、まとうものを脱ぎ捨て、裸身で入植した。7年後、彼女は私たちへ何か教えるものを携え、ジャングルから出てきた。これは彼女のストーリーである。

ユマが始めて解放感という意識を持ったのは、尐女であった頃だ。アフリカのマサイ族で生まれ育ち、自身の魂を反映するように、地平線まで360度、制限なく見渡せる大草原で育ったことによるものが大きい。

このような美しい眺め、空の無限さ、これらは私たちの日常の些細な考えを超えている。私たちは広大さに見入り、奈落の底のような柔らかさは私たちの胸の内で開こうとする。

ケニアでのユマの生活は、その全てがマサイ中心に巡っていた。学校がない時期は、山深い、マサイの森の奥地に入った。-アムボセリ、マサイマラ、ツアボ-、マサイの奥地で自然と動物と協調することを学び、やがてそれが彼女の人生を形成することへとつながっていく。

街に帰れば、ユマはマサイにビーズを習った。子供の頃の瞑想に使った道具が、後のジャングルでの生活を支える大切な収入となった。尐女の頃、ユマの夢に出てくる賢者は年老いたマサイ族の老人だった。茨の道が途切れた山小屋の前で、彼は両手をさし伸ばして立っていた。ユマの家では、“アスカリ”平たく言えば夜の守り神は、マサイの男の姿をしていて、杖を持っていた。ユマは彼の庇護の下、安心して成長した。ユマはアフリカで、教えを乞う人々に恵まれていた。厳格なヨガ師の祖父、ユマの人生で始めての元祖密教の導師であった母がいた。ユマは自身を指して、“表面は裕福で、教養があり、優雅に宗教をたしなみ、ヨガをこなし、家族を大事にするヒンズー女性である、と説明する。そして同時に自由な精神を持ったはじけるような人間であり、一般常識の壁を打ち破り、自身の愛のストーリーを伝えたいのだ、と。ユマを見守ってきた人たちは、そのほとんどの人たちが、ユマの不思議な魔法にかかる。情熱的に自身の心の赴くままに愛に向かって行動するユマ:レースカーやモーターバイク:とびきりのパーティを主催したり:子供たち、そしてその母親、父親たち、すべての人々がユマの甘い、そして短い人生を踊りながら駆け抜けていく様に魅了されるのだ。

ユマが回想する。“母は、意識して私を全てのパワーの素、”無条件の愛“に導いたのよ。”すべてが愛だったわ。私はいつも自分が特別だと感じていたし、揺るぎない力を感じていたわ。でも同時に母は本当の痛みも教えてくれたの。母は年若くして亡くなったの。母を想う寂しさは、私を自分を深く見つめる人間にしていったの。私はどこへも行けなかったわ。14歳で置いてきぼりになったのよ。世間へどうつながればいいのか探さなくてはならなかった。母は亡くなり、兄は自殺したわ。父はアルコール依存症で子供のような状態だった。姉は出て行ったわ。私の自己形成過程は、とても加速されたのよ。“

ジャングルへ

母親を亡くした虚無感と、また同時に母親から受け継いだ自立心に導かれるように、ユマはバリ島へと降り立った。“私は、尐女の頃、夢に出てきたような先生を探していたの。先生はきっと魔術の力を持つ先住民のインド人男性だと思っていたわ。ペルーで彼を探し当てると思っていたのだけど、私のことを煙たく思っていた、オランダ人の義母からバリ行きの無料航空券をもらったの。”

バリの緑鮮やかなジャングル、急流の流れる峡谷、あふれるような生命の躍動感の自然の中、ユマはその時二十歳だった。

ユマは教え求め祈りをはじめた。そして数日後、先生を見つけた。23歳のヨガ師は、壁もなく、鏡もない、そしてもちろん電気も通っていない、川石と竹の笹で作った家に一人住んでいた。




“彼は背教者だったわ。自分の意思で12歳の時に家を出たのよ。自分を導くものはただひとつ、シバ神だと言って。シバ神の最も古い修行僧であるパシュパタ仏陀の教えに従うことが彼の修行だと言ったわ。

インドの宗教界から敬遠された、こういったヨガ師たちは鉄の槍や矛を溶接したりして、生活しているのよ。彼らはそのほとんどが往々にして、無造作なドレッドヘアをしていて、頭の上で結わえていたり、重力のなすがまま髪を下ろしていたりするのよ。彼らの顔は強い信仰心にあふれていて、鋭い眼光はシバ神以上に社会を見据えているわ。彼らはだいたいほとんど裸か、もしくは脚の付け根のみ、鹿の皮か木の皮で隠して歩いているわ。“


ユマの友人たちは、彼のことを頭のおかしな人だからと注意を促した。友人たちが何か危険だと感じているのに、ユマはどこかしら違う感覚を感じていた。その感覚はなにかしら崇高でいて、偉大なものだった。ユマは彼が、世間をあざむくために、わざとそんなおかしく見える格好をしているのだと気がついた。彼の聖なるドレッドヘアの向こう側に何がひそんでいるのか、ユマはどうしてもそれが知りたいと望むようになった。

”最初は彼から逃げていたわ。“ユマが告白した。”そのうち否応なく、夢でしか知ることのできなかった世界に引き込まれるようにして吸い込まれて行ったの。極限的な美しさと醜さ、極限的な妖しい魔術の魅力、極端な無慈悲さ、そして極端な愛と恐れの世界よ。逃げることなんて不可能だったわ。

先生は、私を業から解き放とうとして、多くのことを深く要求したわ。それは私を業から解き放つと同時に、私自身の存在を拘束の呪縛から解放する一歩だったの。

私の前世との輪廻、それから私の家族たちとの繋がり、全てを断ち切ったのよ。彼はそれがサンヤシン(ヒンズー教の僧)のやり方なのだ、と言ったわ。

私たちはほとんどいつも裸で過ごしたわ。それが合理的だったの。だって私たちは毎日川を渡って、岸へ上り、一番滑らかで広い川岸の岩の上で修行を重ねたのよ。公衆の中へ出て行くこともほとんどなかったから、裸でいることが当たり前で、服を着ることが必要ではなかったのよ。

私たちは大抵いつも灰にまみれていたわ。髪は長く伸びて、体を守るようにまとわりついていたの。それから悪霊から身を守るために、骨を削って作った飾りものを体中に身に付けていたわ。バリの原住民たちは私たちがここで生活しているのを知っていたわ。だって最初の2年間は村の女の子が私たちに食べ物を持ってきていたのよ。

それから彼ら原住民は私たちのことを宗教心が深いからと尊敬していたわ。私たちの存在が気になって最初は森の中で入ってくる人もいたけれど、畏敬の念かしら、そのうち彼らはまったく私たちに近づかなくなったのよ。だから私たちは自分たちの修行に専念することができたの。

修行に励む生徒たちの中で、奇妙な成りのその先を見る目のある生徒たちは、時々先生の周りに集まって教えを乞うたわ。そうして集まった生徒たちのヨガの修行は、私たち自身をより協力な力で包んでいったの。たびたび多くの生徒たちが先生のことを何か特別な教祖のように扱ったけれど、先生は必ずそんな生徒たちを追放したのよ。

私たちは月暦で行動していたわ。

新月と満月の時にはスリチャクラのセレモニーをして、その他の時期には天空を動く太陽のリズムに沿って生活していたわ。

ジャングルでしばしば遭遇する小さな、得てして気味の悪い昆虫類について質問された時、彼女はこう答えた。「昆虫や爬虫類たちとの遭遇は、自分の成長過程を計る上でのよい練習だったわ。座禅の修行をしている時に、蚊にさされることによって体内に入ってくる毒素を自分の体内で浄化する方法を発見したの。それから時々、思いもよらないこういった虫たちの攻撃をピュアなエネルギーに転化することもね。例えば座禅をしていて、虫たちの刺激を完全に無視していると、喜びと痛みを越えた何か大きな覚醒のレベルへ吸い込まれていくのよ。蛇やアルー(バリ島特有の大きなトカゲ)はこういった覚醒の時にのみよく現れたわ。私たちは自然と対話していたと思うの。自然との愛の交わりだと言えるわ。」

悟りまたは破滅

私は自分の気づいたことを彼女に伝えました。世捨て人という見解も含めて。

「一人の人間が苦行者として孤独に住む場合、例えばヨガ師として、自分だけの喜びのために、自分だけの世界に入ってしまうような危険はないのですか?例えばジャングルで苦行をされたあなたは、修行過程のヨガ師として、どのような態度で修行に望まれたのですか?悟りまたは破滅という対極のどちらかを目指す修行をしたのか、または単純に特にゴールを設定しないで黙々と修行に励まれたのですか?」



ユマから以下のように説明がかえってきた。「ジャングルの中で生活するということは、自然のサイクルにリズムを合わせて生活するということだったの。孤独な苦行をしていることに対しての完璧な対極的なバランスだったわ。後々に、現代的な生活の中へ帰ってきて、空気、騒音、光、様々な邪念に囲まれてみると、ジャングルの中での生活で得たものはこれら全てを消し去ってしまうほどの大きなパワーを持っていた。悟りか破滅か、という2極の選択は大昔のものになってしまったと思うわ。追想してみると、そういった考えは狂信的で恐れに基づいた冒険のようなものよ。私には耐えられないわ。

「私自身の集中した精神的修行は、自分の感情の中で、朝な夕な動き続ける激情のマラソンの中でピークを迎えたの。自分が‘無’であることをある時、自分の体の中を光が駆け抜けるように、浄化された喜びととともに知ったの。私は感謝の念でいっぱいになったわ。感謝をするということが私の教えとなったの。そして人生の2度目のチャンスとして、感謝を元に自然であることへの修行を始めたの。」

ユマは自分がジャングルを去るに等しいくらいに成長したことを悟った。同時に彼らが住んでいた川岸や丘は開発業者によってブルドーザーがかけられることにもなっていた。ユマは村へ移り住み、先生からまたあらたにそれから7年ほど修行を受けることとなった。

二度目のチャンス

二度目のチャンスは、最も純粋な世捨て人であるユマ自身の妊娠をきっかけに訪れた「ずっと自分は不妊症だと思っていたからまさか妊娠したとは思わなかったわ。子供をもつことなんて考えたことがなかったの。ヨガ師としての自分は妊娠をとても喜ばしいことだと思ったわ。自分の時間と自由を制御できるようになっていたし、自分の精神的向上を目指す中で邪魔なものはなかったから。でも修行師の自分としては、あふれるようなもっと大きな目的のために自身を仕えなくてはとも思っていたの。


私はシバ神へ祈りをささげ、私が仕えるべきかどうかを問うたの。インド洋の南端に浮かぶ小さな島、カンヤクマリ島で神に仕える宣誓を更新したの。この宣誓をしてからほんの1分もたたないうちに、私の子供の父親となるべき男性と出会ったわ。私と同じように修行の道を歩いている人で、シバナンダと名乗っているのよ。(シバの至福という意味。)私たちの子供を授かる過程は、自分たちの存在価値があふれでるかのような至福の喜びだったわ。世界に対しての歓喜のあふれだった。

そんな中でも私は真実の瞬間を恐れていたわ。妊娠という事実によって、私が今まで培ってきた精神的なものが全て無駄になってしまうのではないかと。それから私の存在が遺伝的に続くことで、もしかして私の悟りへの道は絶たれてしまうのではないかと恐れたの。男性にとって自分自身が価値のないものに写っているのかもしれない、それから

刻々と変化している自分のおなかの大きさがとても怖かった。私は自分自身のコントロールを失うことを恐れていたのよ。



「私は自分自身をすでに神への務めにささげたの。すべての試練が拒絶への道へと思えたわ。修行への過程経過が人の母親になることや主婦になることだと思えなかった。冗談のように思えたわ。あなたは本当に神へ忠誠を尽くしたいの?それならほら、母親になることよ、って。

「私、妊娠しているわ。」そう言った途端に私の恋人の目から、嬉しさにあふれた涙が零れ落ちたの。神がその涙を流させたと思ったわ。私の心は一瞬にして満たされ、全ての恐れはどこかへ飛んでいってしまった。そして私が本当に自分自身に向き合った時、私は喜びを受け入れることができたの。体の奥底からわきあがるような深い歓喜の気持ちが、私の体中の全ての関節を潤し、肌のきめを整え、髪に潤いを与えたのよ。そして心地よい人間であること、に対してのこの上ない欲求がわいたの。

人生は織物のようなもの

「もしあなたの人生が織物のようなものであったなら」と私はユマに質問した。「もしあなたの人生が織物のようなものであったなら、あなた自身と精神世界が織られているなら、読者の方々にヨガを糸とするなら、アフリカのジャングルと母親としての感情がどのようにその糸へ織り込まれているのか説明していただけますか?」

ユマが説明する。「ヨガは、以前もこれからも、私にとって自然との対話に際してなくてはならないものなの。自然の力強さ、そしてその力を借りて何かが人間の体の中で、違う素材として変化するの。元々の英雄はヨガ師よ。そして原初のヨガ師はアディナ、または破壊の神、シバよ。尐女の頃から私はシバ神を信仰するようになったの。

これは私のヨガ人生の中で織られている糸の物語よ。私の体を通して感じるシバ神との繋がり、純粋な精神的覚醒、人間として仙人として、そして男性として女性として感じる心のつながりよ。自分自身の精神の解放への過程として、このしばしば破壊的な大きな力を私は感じるわ。

逆説の心情の力強さとも向きあっってきたし、ヨガがどうすればよいのかを教えてくれたわ。無に対して抵抗しなくなったとき、自分自身の中で莫大なエネルギーが湧き上がってくることを発見したのよ。

赤道直下の広大なアフリカ大陸と360度の視界は、私の第二の目となっているわ。自分には制限がないこと、それは尐女の頃からの運動能力で知っていたし、もっと高く、飛んで、走って、自分の筋肉が追いつかないところまで自分は跳べると思っていたわ。

私のハタヨガに引かれる気もちをますます膨れ上がらせたのは、人間には制限はないという思い出からよ。バリ島では、私たちはいつも歩いたわ、私と先生とでね。自分たちの知らない土地で、なんの知識もなく、すべての生きるものと会話ができたわ、現実と第3世界を行ったりきたりしてね。

私たちが日々のクラスで練習するヨガは、心因性の体の不調を整える役割を果たすのよ。だからこのヨガを練習することによって、心に負担を大きくかけず、心が破裂するよう

なこともなく、経験と知識によって、心の状態をポジティブな状態へもっていくことが可能なの。

私たちはジャングルでのヨガと街でのヨガと両方を練習したわ。街のヨガは、ジャングルのヨガに、そうね、多尐あきた時、または都会での暮らしに対応するようなエネルギーを体が欲しているときに練習したくなるの。この街のヨガを練習することによって、街にとりこまれてしまうのではなく、自分たちが対等におりあいをつけていくことができるようになるのよ。また私たちは宝石や一部の金属のエネルギーを使って、ごく自然に、普通にふるまう術も見に付けたわ。

母親としてのヨガというのはとても秘伝的で、野性味にあふれるものよ、そう、以前にも増してね。すべての一瞬が私にとって何が真実かを知らしめるの。確認している暇はないわ。ジャングルの夜のように、自分で何が真実かを知るの、危険がせまっているときに、どの方角からそれが向かってきているのかを一瞬で自分が察知するのよ。

私の体は自然分娩でとても繊細になったわ。それから赤ちゃん用のスリングをかかえたり、母乳をあげたり、めまぐるしい赤ちゃんの世話で、使い古した毛布のようよ。すべての真実は私のあかちゃんの顔と声にあるわ。私を見ているようよ。私が押さえようのない怒りに駆られた時、次の瞬間にはあたりに響くような喜びの笑いがこみあげてくるの。私がどんなボタンをもっているのか、私の赤ちゃんは知らないはずだけど、赤ちゃんはどうやってそれを押すのかは知っているみたい。私たちのヨガは力と愛のバランスなの。ジャングルでの経験をした後、ユマはアメリカへ渡った。そこでユマは生徒たちが四輪のスポーツ車に乗り、小さなスタジオの中で、小さなヨガマットを広げて練習をする様に驚いた。ユマはアーベルユーダー アメリカン学院で学んだ後、ラーム パンディ師の元でアーベルユーダー学を究めた。その後、アシュタンガ ビンヤサ、ビハー ヨガ道を学んだ。これらの勉強を通して、ユマはヨガ哲学を会得した。そして本当の意味での共鳴として、今までの何物にも拘束されない生活経験を得て、ヨガそのものが自由なのだ、と悟ったのだ。

作者、ジェイムス N. パウエルはカリフォルニア州サンタバーバラ市に在住。尐数民族の宗教学と英文学の博士号を持つ。最新出版作はスローラブ、副題名はポリネシアンピローブック。作者へのコメントは自身のウェブサイトpolynesiansex.comをご覧ください。

ユマ インダーは緑あふれるバリ島、ウブド地区に在住。ヨガとアーベルユーダを教え、伝統的なオディシ流ダンスを練習している。3歳になる子供から日々新たな刺激を受けている。ユマはウブド地区ヨガの丘にあるカシュ アーベルユーダー再生センターの共同創始者のうちの一人。センターでは高度なタントラ、ヨガ道、またアーベルユーダーの教育学コースを設けている。詳細はschoolofsacredarts.netまたはユマ個人のウェブサイトschoolofsacredarts.netをご覧ください。

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